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大聖堂火災、「最初の30分が被害拡大防いだ」 仏大統領は5年以内の再建約束

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ノートルダム大聖堂、初の被害映像 火災の影響は

フランス・パリのノートルダム大聖堂で15日夕に発生した大規模な火災で、建物の主要部分が焼失を免れたのは最初の15~30分の重要時間帯の消火活動がうまくいったおかげだったと、ローラン・ヌネズ内務次官が16日、説明した。

ヌネズ次官は、2棟の塔や大聖堂の主要な構造が焼失しなかったのは、「命をかけた」消防隊の「勇気と決意」によるものだと称賛した。

この火災では、木造の尖塔と屋根が崩落した。出火の原因は明らかになっていない。

エマニュエル・マクロン仏大統領は、5年以内の再建を約束している。

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ヌネズ次官は、「最初の15~30分が勝負だと分かっていた」と話し、警察や消防当局が向こう48時間で大聖堂の安全性などを調査することを明らかにした。

パリ検察庁のレミ・アイツ検察官は、出火原因は「事故だとみている」ものの、50人を投入して調査に当たっていると話した。

当局からは、大聖堂で進められていた大規模な改修工事が原因だとの見方も出ている。
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(左から)火災前の尖塔、火に飲まれる尖塔、消火後
すでに再建への動きが始まっており、マクロン大統領は「今まで以上に美しく」立て直すことを約束した。

「この大惨事を、みなが一致する機会に変えたい」とマクロン氏は述べている。

また、テレビでの演説では消防隊の尽力を称賛した。

「消防隊は最も危険な状況の中で火を消してくれた。フランスのさまざまな地域から集まった、20~25人の消防隊員だ」

一方、AFP通信によると、ストラスブール大聖堂の再建を手掛けた基金を統括するエリック・フィッシャー氏は、再建には「数十年」かかるだろうと指摘した。
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世界中から再建に向けた支援が寄せられており、欧州理事会のドナルド・トゥスク常任議長(大統領に相当)は欧州連合(EU)加盟各国に援助を呼びかけた。

また、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領やイギリス政府、スペインのホセ・ギラオ文化相などからも支援の声が届いている。

フランス国内では大企業からの寄付が相次いでおり、AFP通信によると総額は8億ユーロ(約1000億円)に上る。

これまでに高級ブランドのグッチやイヴ・サンローランなどを保有するケリング・グループのフランソワ=アンリ・ピノー会長や、ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシーと同社を保有するアルノー一家、化粧品大手ロレアルと創業家のベタンクール一家、石油メジャーのトタルなどが名乗りを挙げている。

航空大手エールランスは声明で、再建に関わる人には無料でフライトを提供すると発表した。
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これまでに分かっていることは?
火災は15日午後6時43分(日本時間16日午前1時43分)に発見され、消防に通報が入った。瞬く間に大聖堂の屋根に燃え広がり、ステンドグラスや木造の内装が焼失した。

屋根や尖塔が崩落したことから、大聖堂の2棟の塔も火災で破壊されるのではとの不安が広がった。

火は塔にも燃え移っていたが、ローラン・ヌネズ内務次官は、塔全体に燃え広がる前に火を消し止めたと発表した。

パリの消防当局は、16日午前10時までに鎮火したと発表している。
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ノートルダム大聖堂の被害状況。赤く示された尖塔と屋根が焼失したが、ヴォールトの石の天井や2棟の塔は無事だった。バラ窓も被害を受けていない模様。一方、その上部の窓は壊れてしまった。尖塔の真下の床には、崩落した尖塔と屋根のがれきが落ちている
すでに調査チームによる被害状況の確認が始まっている。

内部の写真からは、3カ所に設置されている有名なバラ窓のうち少なくとも1カ所は無事が確認されているが、その他のステンドグラスが無事かは懸念が残っている。

フランスのクリストフ・カスタネール内相は、主要な構造は守られたものの、大聖堂はなお不安定な状態だと注意を呼びかけている。

「私たちは(ノートルダム大聖堂の)枕元に立っている」
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ノートルダム大聖堂内部の様子。祭壇や十字架、祭壇周囲の窓、説教壇、座席は無事だったが、崩落した屋根と尖塔のがれきが床に落ちている
ヌネズ内務次官によると、「全体としては」大聖堂の構造は良い状態だが、ヴォールトや焼け残った屋根などに「ぜい弱性」がみられるという。

専門家による調査はまだ始まっていない。一方、消防当局はドローン(小型無人機)を使って被害の状況を調査している。

熱や消火のための放水による被害も精査される必要がある。

フランスの慈善団体「フォンダシオン・ドゥパトリモアン」のベルトラン・ド・フェドゥー氏はAFP通信の取材で、18世紀に設置されたパイプオルガンは焼失を免れたが、水でダメージを受けているかは不明だと話した。

<解説>大聖堂のために祈る ――パトリック・ジャクソン、BBCニュース、パリ
サン・ミッシェル広場に集まった人々が、ノートルダム大聖堂の火災後初めての夜に聖歌を歌っている。そのほとんどが若者で、群衆の中で立ったり座り込んだりしている。聖ミカエル像の前に置かれたテーブルには、ノートルダム(私たちの貴婦人)、つまり聖母マリアの像が置かれている。

22歳のエロイさんは、「フランスのカトリック教徒として、火災の後はとても気分が悪くなった。でも、たとえ大聖堂が焼けたとしても再建できる、なぜなら教会は石ではなく、私たちの身体でできているから。そう言いたくてこの集まりに来た」と話してくれた。

「私はカトリック教徒だけど、全てのフランス国民――、カトリックも、ムスリムも、無神論者も、この大惨事の前に団結して再建を望んでいる」

夜通し行われたこの集まりでは演奏会も行われた。しかし消防車が側を通り過ぎると、演奏が止まり、人々は拍手と歓声でその勇敢さを称えていた。


 引用元:https://www.bbc.com/japanese/47957794
ノートルダム大聖堂、火災の前と後を比べた写真でわかる、被害の大きさと残ったもの

大きな被害が出た。でも焼け落ちなかったのは奇跡と、ペクレス知事は感謝しています

フランス・パリのノートルダム大聖堂で、4月15日(現地時間)に起きた大規模火災で、火災後の大聖堂内部を撮影した写真が公開された。
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火災が起きた後のノートルダム大聖堂内部。
屋根や尖塔を消失するなど、ノートルダム大聖堂は火災で大きな被害を受けた。イル=ド=フランス=地域圏(パリを中心とする地域圏)のヴァレリー・ペクレス知事は、3年は一般公開は無理かもしれないとアメリカabcニュースに語った。

一方で、屋根が焼け落ちるほどの大火災だったにも関わらず、壁や柱が残ったのは奇跡であり、一晩中消火にあたった消防隊員のおかげだと同知事は述べた。

「外からみると、大聖堂がきちんと立っているのがわかります。これは奇跡的なことです」

「大聖堂を救ったパリの消防士の皆さんに、感謝してもしきれません」

火災の前と後を比較した写真は、被害の大きさを物語る。その一方で、大規模な火災だったにも関わらず、黄金の十字架や石柱が残っているのがわかる。

ノートルダム大聖堂、火災の前と後
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フランスのマクロン大統領は16日に会見し、ノートルダム大聖堂を5年以内に再建したいと語った。そして、そのためには国中が団結して再建プロジェクトに当たる必要があると訴えた。

「歴史を通じ、私たちは都市や港、教会を作ってきました。そしてその多くが、戦争や人間の過ちによって焼け落ちたり破壊されたりしてきました」

「その度に、私たちは再建してきました。ノートルダム大聖堂の火災は、私たちに、歴史は終わらない、ということを思い起こさせてくれます。私たちにはいつでも、乗り越えなければ挑戦があるのです」

ノートルダム大聖堂の再建には多額の費用がかかるとみられる。すでに「ルイ・ヴィトン」を擁するLVMHグループや、「グッチ」を保有するケリングなど、多くの企業が寄付を表明している。


 引用元:https://www.huffingtonpost.jp/entry/before-and-after-photos-of-notre-dame-cathedral_jp_5cb67ff7e4b082aab08df753
ノートルダム大聖堂 (パリ)とは(Wikipedia)

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パリのノートルダム大聖堂(Cathedrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム寺院とも) はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂[1]。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。

パリのノートル・ダム大聖堂の正面に向かって左側のポルタイユ(正面)には、聖母マリアの聖母被昇天の主題が取り上げられている。中段では聖母マリアが地上における生を終える場面が描かれ、上段でキリストから祝福を授けられている聖母マリアが鎮座している。キリストを中心にして天使や聖人たちが描かれており、過去、未来、未来という崩れた構成となっている。

2019年4月15日夜(現地時間)に大規模火災が発生し尖塔などを焼失した[2][3]。翌日16日午前に消火活動により鎮火した[4]。同日にローマ法王庁のフランシスコ法王も「ローマ・カトリック教徒およびパリ市民のために祈っている」と声明発表している[5]。

建物
概観
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域であったが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され[1]、1225年に完成した。ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられた。最終的な竣工は1345年。

全長127.50m、身廊の高さは32.50m、幅は12.50mと、それまでにない壮大なスケールの大聖堂が完成した。全体の色合いから、白い貴婦人とも称されている[6]。

歴史
建設
ノートルダム大聖堂の歴史は、1163年、国王ルイ7世臨席のもと、ローマ教皇アレクサンドル3世が礎石を据えたことに始まる[10]。建築工事の大半は司教モーリス・ド・シュリーとその後継者オドン・ド・シュリーが指揮を執って進められた[10]。

1163年?1177年 内陣の建造(1182奉献)
1180年? 身廊(五廊式)の建造
1196年 司教モーリス・ド・シュリー死去、西側の梁間を除き、ほぼ完成
1200年? 後継者ユード・ド・シュリーによる、西正面ファサードの建造
1220年 「王のギャラリー」の層まで
1225年 バラ窓の層まで
1240年 北塔(高さ地上63m)
1250年 南塔、全面完成
12世紀末から13世紀前半にかけてノートルダム寺院は「西洋最大のカトリック教会」とみなされた[10]。

英名 Paris, Banks of the Seine
仏名 Paris, rives de la Seine
登録区分 文化遺産
登録基準 (ⅰ),(ⅱ),(ⅳ)
登録年 1991年
公式サイト 世界遺産センター(英語)


 引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%80%E3%83%A0%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82_(%E3%83%91%E3%83%AA)



■以下、ネットTwitter民の反応(記事内に画像・動画等あり)■